GAYA | Blog

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続・バロートラへの道 (2)

私たちの車は、渋滞の列の最後尾に停車していたが、せっかちのジョラがそう何分も一カ所に留まっていることはしないだろう。

ジョラの性分ではどういう選択をするのだろう。私はすべてをジョラに託しているので、ジョラが決めたら文字通り命を預けてついて行くのみだ。


さすがのジョラも顔色がいつもと違い、進むべきか否か悩みあぐねていた。

そして額に汗しながら、意を決して私たちはゆっくりと車を前に走らせた。横転したタンクローリーの真横を通る時にはアクセルを全開にして一気に走り抜けた。

幸い爆発する事もなく、未だ留まっている車達を後目に、私たちは何とか危機を通り抜ける事が出来た。



辺りはもう夕暮れを迎え、ウダイプールへ向かう手前の、ラナプールという町で一晩明かす事になった。

ラナプールの街道沿いに建つホテルに車が到着した頃には、日もとっぷりと暮れ、辺りは外灯一つなく真っ暗だった。

ジャイサルメールでホテルを経営しているジョラは、同じラジャスタン州内で、やはり同じくらいの規模のホテルの経営者達との間にコネクションがあるらしく、ホテルのオーナーと互いに握手をかわしていた。


夕食は、ホテルの中庭でとった。

テーブルの上にキャンドルが灯り、他にも何組かの西洋人たちが、ラジャスタンの夕べを談笑しながらくつろいでいた。

空には満月に近いお月様がぽっかりと白く浮いていた。 (つづく)


aki

続・バロートラへの道 (1)


バロートラで染めてもらう布をオーダーする事が出来て、私たちは再びジョラの運転する車で、ウダイプール方面に向けて走りはじめた。


砂漠の風景はいつしか岩山に変わり、崖のそこかしこで野生のサルが遊んでいた。

ジョラがここのサルは凶暴だから気をつけてと、子ども達に注意した。日光のいろは坂と同じような曲がりくねった山道とサルはどうやらセットらしい。


険しい山道を抜けしばらくすると、車が数珠つなぎで何台も往生している。

渋滞なんて起きようもない車の通行量なのに、どうしたのだろうと全員身を乗り出して前方を見ると、前のガソリンを積んだトラックが、見事に道の脇で横転していた。

横転している車を見つけるのは、インドの旅ではさほど珍しい事ではない。現に今日も朝から何台も見て来たし、ありふれすぎていて、気にも止めないくらいである。


しかし今回は事故っているのがタンクローリーで、しかもつい今しがたの事故のようだ。

その状況が一番最悪である。もっと前に爆発炎上していれば安心だが、いつ爆発するとも限らないタンクローリーの横を通り抜ける事すら出来ず、かといって引き返しても、この道の他に目的地に通ずる道がある訳でもなく、私たちは、ただただ事の次第を見守り続けるしかなかった。 (つづく)



aki


バロートラへの道 (14) 最終回


日本に帰ってきて、4ヶ月ほど経ったある日、大きな荷物がGAYAに届いた。バロートラからのものだった。

 

梱包材を破る勢いで箱を開けると、私が選んだ3種類の模様の布が見えた。やった!

 

この荷物が届くまで、頼んだ模様とは違うものが出来上がってきたらどうしよう、違う色だったらどうしよう、荷物が届かなかったら、と色々な心配をした。

でも、今こうしてバロートラの布が日本まで届いた。

 

布の仕上がりは、私が現地から持ち帰ったサンプルとは少し違っていたけれど、沈むような深さの黒い地色に、素朴で慎ましい赤が組合わさった、美しい布だった。

 

木版草木染更紗は、自然のエネルギーで出来ている。
太陽、土、草木、水、そして職人である人間。そのどれが欠けても布は完成しないし、ひとつとして同じ条件下で染める事も出来ない。

木綿もしくは絹などの布に、草木を煮出し調合させた染料を、木版で捺染し、太陽の元で地面に広げて干して、地熱で色を定着させる。

天気は日々変化するように、人もまた昨日と今日とではコンディションが違う。そう考えると、様々な偶然の重なりや繋がりによって、一枚の布が出来上がるのだと分かる。

そうやって出来た布が日本に届き、全く別の文化の中で暮らす人の服になるなんて、なんて楽しいことだろう。

 

また布を探す旅に出てみたい。そして、その旅の途中でいろんな人に逢ってみたい。

さて、次はどこに行こうかな?

 

(おわり)

  








バロートラの更紗で作ったスカートやジャケットは、
1219日から開かれる冬の展示会で、素敵な服となって登場します。

年末のお忙しい時期ではありますが、是非おいで下さい。



aki

バロートラへの道 (13)
染め職人の家を5分で後にし、そこの主人に教えてもらった工房に辿り着いたジョラと私は、小さな間口を通り、家の中に通してもらった。

 

応接間兼事務所の棚には、使い込まれた捺染用の版木が、無造作に何個も積み重ねられていた。

それを見て、間違いなく、ここが更紗職人の家だと分かって安堵した。


 

品のいい、白いサリーを着たおばあさんが、疲れたでしょう、と私たちに切子のグラスに入った水を、お盆に乗せて運んで来てくれた。

インドの田舎では、大体どの家庭の食器もステンレスが多く、ガラス製品を使っているのはあまり見なかった。

水を一気に飲み干す私を、くりくりの天然パーマがかわいい、5歳くらいの孫娘が隣の部屋から興味深そうに覗いていた。

 

突然来たので、あいにくこの家の主人は不在だったが、主人の息子という若い男がいて、染め上がった布の数々や、スワッチした布の束を見せてくれた。

突然日本からやって来た私に戸惑いつつも、一生懸命に説明をしてくれて、とても嬉しかった。これが良い仕事になれば、という思いを、お互いが持っていると感じた。

 

スワッチを見て驚いた。私の探していた伝統的なバロートラ染めの布。いや、それ以上だった。染めはどれも丁寧で美しく、伝統的な柄を継承しつつ、色のバリエーションも豊富だった。選びきれないほど、どれもすばらしい布だった。やっと辿り着いた!という思いがこみ上げて来た。

バロートラの布を夢見て、こんな砂漠の町まで来たものの、なかなか本物のバロートラの布を見つける事が出来なかったのに、今、こうして目の前にあるのは、私の想像を超えた、美しい布の数々だった。


 

初対面の外国人の私と取り引きするのは、染め職人にとっても大きな賭けであるのに、ジョラが間に入って取り持ってくれたおかげで、少ないロットでも注文に応じてくれる事になった。

そこで私は迷ったあげく、これだ!と思う柄を3種類ミニマムで注文することにした。上から「シヴァの三つ又」、「弓と矢」、「籠」の3模様である。生地の質も上等の物をお願いした。

 


 

最後に、「このスワッチと、色もデザインも全く同じに仕上げてね」と念押しをした。

インドでは同じにして、とお願いしても、同じものが上がってこないのが常。ましてや、一度も取引きをしたことのない職人だから、たとえインド人の口癖「ノープロブレム!」と言われるのが分かっていても、言わずにはいられなかった。息子はもちろん「ノープロブレム!」と言った。

この言葉は、インドではなんの安心材料にも、もはやなりはしないが、もう運を天に任せて、あとはいい物が上がってくるのを、ひたすら祈るしかない。

 

(つづく)



aki

バロートラへの道 (12)

すでに午後2時を回り、太陽は容赦なく照りつける。気温が体温を上回る中、目の前が、暑さと眩しさで白く見える。
この辺では珍しい外国人が路地に入ってきた事を見つけた子どもたちが、軒先から次々に表に出てきて、興味深そうについてきた。

路地に面した一軒の家に入った。胸の中は、いよいよか!と高鳴ってきた。ここに、木版の染め職人が住んでいるという。

 

二階の作業場に上がると、そこには捺染のための低い台があり、版を押している最中の更紗の布があった。

木版の更紗、ではあった。でも、今、作業中の布も、出してきてくれた布も、どれも伝統的な柄ではなく、探し求めているバロートラの図柄じゃないものばかりだった。

ジョラに、またも「ここじゃない」というのが辛かったけれど、それを聞くや否や、ジョラは嫌な顔ひとつせずに「よし!次へ行こう!」と、私たちはこの職人の家をわずか5分で後にした。

見ず知らずの人の家にアポもなしに、突然上がり込み、ハイさようならでは、あまりに失礼だけれど、ここの主人に、別の木版更紗の工房を教えてもらい訪ねる事にした。

 

そこには、探し求めてる布があるだろうか!?   (つづく)








ガーグラと呼ばれるスカートを着るバロートラの女たち。ガーグラ下部の赤帯の幅が長いと「夫は健在」であり、短いと「未亡人」を表す。また、女性が高齢になるにつれ、ガーグラの染料も落ち、赤は色が褪せて、黄色はほぼ消えてしまう。ただし、今は草木染の布より、退色しにくいポリエステルの布を着ている女性の方が多い。

 
aki


 

バロートラへの道 (11)

シルクスクリーンのプリント工場を出た私たちは、染め職人を探しながら、町の生地屋でもバロートラ染めの布を探す事にした。

 

ちょうど昼食を終え、昼寝でもしようかなぁという時刻。どこの店先も人影がなく、空いているのか閉まっているのか分からない。私とジョラは、その中の一軒の店に入った。

 

木版草木染めの布を探している、と告げると、店の主人は、薄暗い、一番の奥の棚に山積みされた布の中から、1枚をひっぱり出してきた。私が求めていた木版染の、伝統的なバロートラの模様だった。これだ!これだ!

 

しかし、それは、在庫として置いてはあるものの、滅多に売れることがないのか、カビ臭く湿っていた。そして木版染めだったが、色は天然染料ではなかった。

 

店の主人が次に出してきた布に驚いた。

「こちらは同じ模様ですが、軽くて涼しくて、大変おすすめです」

それは、同じ模様とは言いがたい、テロテロのポリエステルにシルクスクリーンでプリントされた布だった。似て非なる物。というよりもはや似てもいない、全く別のものになってしまっている。

 


 

この「クター」と呼ばれる模様は、バロートラの伝統的な20種類ある模様の中でも、一番人々に馴染みのあるものです。部族によって着用する模様が違うことの多いバロートラ染めで、このクター模様はバロートラのどの部族も着るものだそうだ。元は「短剣」をモチーフにしたデザインらしいが、ヒンドゥ教のシバ神が持つ「三つ又のほこ」のデザインとしても、インド中で広く親しまれている。

 

あまりに簡略化されてしまったクター模様。それはもう、気が抜けるほどだった。

主人の話によると、重量のある木版草木染めの木綿ではなく、このポリエステルで出来た軽い布が、今や主流らしい。実際、バロートラの町に入って以来、見かける人のガーグラ(スカート)は、どれも皆この素材だった。

 

ガーグラというスカートは、布を10メートルも使って作る。実際ガーグラを毎日履いて、水汲みや食事の支度、子どもの世話など、日常生活を送るのは、想像以上に大変だろうと思う。この厚くて重い布を敬遠したくなるのもしょうがない。インドの砂漠の果てでも、人々の生活は時代と共に変化していた。

でもでも、できれば古い、良い物を絶やさずに着続けて欲しいと思う。そんな事を外国人の私が願う権利などない。自分だってめったに着物を着ないのに! (つづく)

aki

201011121943000.jpg

(布を入れてくれた袋。右はボリウッドスターのAkshay Kumar
?) 
 

 

 

バロートラへの道 (10)

ルンギの出荷作業に追われる部屋を後にし、次に入った建物は、敷地内でも最も大きな建物だった。

 

薄暗い、ジメジメとした入り口をくぐり抜け、中に入ると、そこは広大なシルクスクリーンのプリント工場だった。

真っ暗な工場の天井は遥か高く、屋根の隙間から所々差し込む光の筋が、男たちの作業の様子を映し出していた。


 

屋根と壁だけを設営したと思われる、この建物の床は土のままで、シルクスクリーン用の染料は、土の上にそのまま垂れ流していた。溝に溜まった汚水にサンダルの足が落ちそうになるので、気をつけて歩かなくてはならない。

それにしても中が暗いので、あるいは明るい外から来たから、余計に暗く感じるのか、足下がおぼつかない。

視界が馴れたころには、縦長の工場の端から端まで、帯状に広げた何本もの色鮮やかな長い布が見えた。

ケミカルな色のケバケバしさと、揮発性の嗅いだ事のない脳天にくる薬品の匂いに、思わず息をこらえた。

ここで、この匂いを一日中嗅ぎながら、この暗い工場で働くは大変だろう、そう思わせる眼をして、男たちは無言で働いていた。


 

工場中を見学させてもらい、何も買わないで帰るのも申し訳ない気がしたので、最後に布を数枚購入させてもらい、私とジョラはこの工場を後にした。


表には、合流したカムラちゃんと子どもたちが車の中で待っており、すっかり待たされた子どもたちが、くたびれてげんなりしていた。

 

カムラちゃんが私のぶら下げていた、今買ったばかりの袋を見て、「私も同じのが欲しい」と言った。それはパンジャビを縫うための布だった。
パンジャビは、サリーよりもカジュアルな女性用のインド服で、
普段はマルワリ族の民族衣装、マルワリドレスしか着ないカムラちゃんが、パンジャビ用の布を買った所で、着る機会は果たしてあるのだろうか。

今にも出発したい子どもたちとジョラはがっかりし、半分怒ってもいる。このカムラちゃんの願いはさすがに却下され、車を発車するものとばかり思った。ところが、私の予想に反し、ジョラは一目散に工場の中に戻って行った。

大急ぎで同じ布の色違いを買って戻ってきたジョラから袋を受け取ると、カムラちゃんのふっくらした顔が笑顔になった。それを見ていて、私も心から嬉しくなった。

めったに旅行に連れて行ってやれないカムラちゃんの為にと、奔走するジョラを見ていて、夫婦っていいな、と揺れる車の中で思った。

(つづく)

aki

 

バロートラへの道 (9)
バロートラで一番大きいというその工場は広大だった。

マネージャーの部屋のすぐ横にある建物の中は、ルンギの出荷作業の真っ只中だった。
ルンギというのは、男性用の腰巻布で、インドや南アジアで広く着られている。

ルンギは、横幅2m丈1mほどの「ただの布」である。
ただの布とは失礼な話だけれど、こんな便利で実用的な服はない。



この大判の布を腰に巻いて両端を結ぶだけ。
そして、暑いときや、はげしく動く時などは、裾をたくし上げ、裾を腰に折り込む。
すると丈が半分になって、短いスカートのようになる。巻きスカートのような感覚。
普段ズボンを穿いて、両脚を布で包まれて生活している男性にとっては、さぞ涼しかろう。インドのような暑い国なら尚更である。

以前に行った南インドの都市では、人力車引きや市場にいる男たち皆が、このルンギを穿いていたが、ここバロートラのあるラジャスタン州などの砂漠地帯で、ルンギを穿く人を街中で見ることは、ほとんどない。



普段から、誰に会うでもなく着飾っているラジャスタンの誇り高い少数部族にとっては、ルンギ姿で出歩くことはちょっと恥ずかしいことなのかもしれない。地方によっては「ルンギは下着同様」という認識があるみたい。

ここの部屋で作業に追われる男たちは、皆一様にルンギを穿いていた。ラジャスタンでこんなにルンギを穿いている男性を一度に見たのは初めてだった。やっぱり一番涼しくて作業がしやすいのだろうと思う。

よく見ると柄もシックでおしゃれ。

ルンギの部屋を後にし、別の建物の中も見せてもらった。
そこには今まで見たこともない風景が広がっていた!

(つづく)

バロートラへの道 (8)
早く別の染め場を見たい!と息急き切る私に、「まずは昼ごはんだ!」と、ジョラは走り出したジープを通りで大きくUターンさせた。

私たちは小さなホテルに併設するレストランに入った。

思えばジョラたち家族と外食をするのはこれが初めてだ。いつもジョラの家で一緒に床に座り、ひとつのお皿のご飯をつついてはいるけれど。

 

店に入ってビックリした。中が異様に暗い。

インドでは、薄暗い演出をすることがもてなしのひとつになっているのか、ちゃんとしたレストランに入ると、昼間からびっくりするくらい照明が落ちていることがある。

逃げ場のない暑さのインドでは、「暗い屋内=涼しい」ということがステータスになっているのだろうか。

かろうじてメニューの読める明るさの中で、私たちはひよこ豆のカレー「ダール」や、ほうれん草とチーズのカレー「サグパニール」、揚げパンのような「プーリー」を数品注文した。
そして昼食もそこそこに、私とジョラはまだランチを食べている子どもたちをカムラちゃんに任せて、染め場まで向かう事にした。

私たちは、バロートラに住んでいるジョラの友人の奥さんの親戚という、保険セールスマンの男に案内をしてもらい、町で一番大きなテキスタイル工場という所に向かった。この工場は彼の大事な顧客のひとつなのだという。

立派な設えの部屋に通され、工場のマネージャーという若い男に布地のサンプルブックを見せてもらったが、心引かれる布は一枚も無かった。何冊見ても気に入った物がひとつもないことに、ここに連れてきてくれたジョラに、何だか申し訳ない気がした。
そこは、またも私が捜し求めている木版草木染めの工房などではなく、化学染料を使って、大きなプリント機械を用いて布を大量生産している工場だった。

化学染料や機械染めの布が嫌いだというわけではないし、そういった布でも美しいデザインの布はたくさんある。でも、今回の目的とは違う。

 

私はもう一度ジョラに、自分の探しているもの、今回手に入れたいと思っているものを、具体的に説明する必要があった。

ジョラは私の懇願を、注意深く聞いてくれた。

考えてみたら木版更紗の小さな工房には行った事があっても、こんな大きなテキスタイル工場には今まで来た事がない。こんな場所は、私ひとりで来れる場所ではないのだ。

これも何かの縁に違いないし、化学染料と機械で染めた生地を見る事で、さらに木版更紗のいい所を再確認できるかもしれない。


まだバロートラに着いたばかり。それにまだ2軒目ではないか!どうせここまで来たのだから、このバロートラ1大きなテキスタイル工場を見学してみたくなった。




※たくさんのシルクスクリーンのフィルムが並ぶ工場の敷地。らくだも活躍

(つづく)

aki

 

バロートラへの道 (7)
木版の草木染とはどういう布なのか、どんなに説明しても、なかなかジョラや他のインド人には伝わらなかった。

自分には分かっていても、相手が理解できるように説明するのは、母国語であってもなかなか出来ることではない。ましてや下手な英語に適当なヒンズー語を交えれば、分かる事も分からなくなる。

それに、いくらインドの木版草木染更紗が有名であっても、普通のインド人からしたら、それは全く親しみのないものだ。日本人が皆、友禅について知っているかと言われれば否というのと同じである。見たことも触ったことのない物を、あれこれ身振り手振りで説明されても、彼らにはまるでピンとこないのだった。
せっかくバロートラまで来ているのにっ!

うまく説明できずにもどかしくしていると、ガレージの軒先に、突然3人の訪問者が、どこからともなく現れた。 

大人ふたりと、小さな男の子も一緒だった。
彼らは揃って、黒と緑色の服に身を包んでいた。

インドには、黒しか着ない少数部族など、それぞれの宗教や部族、カーストなどによって、特定の色や模様、装束しか着ない人々がたくさんいる。その中でも、緑色の服を着る人たちを見るのは初めてだった。



彼らは巡礼の途中なのか、お布施を求めて私たちに近づいてきたのだった。
その中のひとりの服をみると、なんと木版染めの更紗で出来た服を着ているではないか。



「あっ!これだよ!これ!」
私はそのおじさんの服を掴まんばかりにジョラに見せ、ジョラやこの成り行きを見守っていたインド人たちも、「あ〜あ、これね!」とやっと分かってくれたようだった。



まさに天からの助けだった。
これで、ジョラにどんな布を探しているのかを分かってもらうことができ、バロートラ染めの布を探す旅も、万事順調に進みそうに思われた。


(つづく)

aki

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