
私の予想に反して、見た目の青さと違ってマンゴーは少し熟れすぎていた。
目をひん剥くほどの強烈な甘さで、頭が急に冴えてくるようだった。
美味しい、と言うよりひたすら甘かった。
そして当然冷えているはずもなく生温かい。でもそもそもくだものは木に生る物なのだから、冷やして食べること自体が不自然なことなのかもしれない。
この生温かさがマンゴーの体温なんだと思った。
かぶりついたマンゴーの断面をじっと見つめてみると、それは目では見えないほど小さく細かな無数の組織で出来ていたが、同時にまるで私には分からないほど、巨大に出来ているようにも見えた。
一粒の中に世界を見る
一輪の花に天国を見る
君の手のひらで無限を握り
永遠は一刻の中に
これは、ウィリアム・ブレイクが書いた「Auguries of Innocence(無垢の予兆)」という長い詩の冒頭だけれど、この4行がふと脳裏に浮かんできた。
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もうすぐで夏休みが始まるというその日、私はたまたま学校に、庭で咲いた小さな花を花束にして持って行った。
私が一番楽しみにし、また一番恐れてもいるPoetryという英詩の授業になると、いつもは怖い先生が私の持ってきた花を生けた花瓶を手に持って教室に入ってきた。そして生徒たちに、花瓶の花を見ながら言った。
「ほらごらん。こんなに小さな花でも、この花の中にはこの花の世界ってモノがちゃんと存在するんですよ」
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いつもなら一口食べ始めると、最後まで一気に食べてしまうのに、ふとかぶりついたマンゴーの断面をまじまじと見ると、吸い込まれそうな気がした。そしてあの授業の時はわかっていなかった詩が、少しだけわかったような気がした。
私の場合は、To see a Universe in a Mango. だけれど。

するとその様子を見ていたマンゴーをくれたサドゥーのお爺さんが、自分のパッチワークのバッグの中から真鍮で出来ていて、大切に使い込まれた様子の水筒を取り出すと、私の手のひらに水をかけてくれた。
水筒の中の水は濁った茶色をしていたので、やはりガンジスの水なのだろうか。
こういうときにインド人は0を発見したのかもしれない。
ゆるやかに、ゆるやかに流れ行くガンジス河。緻密でマンゴー。無数の飛び交う蠅たち。二人のお爺さん。天は高く、小さな私はここに居る。(マンゴーの中の小さな宇宙 おわり)
aki
※この文章はakiが17才の時に書いた物です。